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2007年10月27日

沖縄そばの深い歴史

本当に古くから食べられているんですね。
意外でした。

起源は中国福建省から琉球王朝時代に中華麺が伝わったものとされているが、当時は主に琉球王朝の宮廷料理、あるいは中国からの使者をもてなす料理として供されたもので、決して一般家庭で食べられていたわけでない。廃藩置県のころに、既にそば屋が存在していたという説もあるが、少なくとも広く知られるようになったのは明治後期以降のことであり、内地から日本人が連れてきた中国人コックが那覇の辻遊廓近くに開いた支那そば屋が、今日の沖縄そばの直接のルーツであると考えられている。したがって現代日本のラーメンと沖縄そばは、先祖を同じくする兄弟のような関係にあるとも言える。


木灰すば一般的な中華麺と同様に、麺の製法は小麦粉と塩水、そしてかんすい(鹹水)が用いられるが、沖縄ではかつて、かんすいの代用としてガジュマルなどの亜熱帯の樹木灰を水に入れた上澄み(灰汁(はいじる))が利用されることが多かった。このような伝統的な製法の麺は、今日では特に木灰そば(もくはいそば)と呼ばれている。灰汁は琉球染めにも利用される身近なアルカリとして沖縄で一般に用いられてきた経緯があり、こうした地域性による独自のアレンジが今日の沖縄そばの原型となっていることは想像に難くない。

街中にそば屋が増え、一般庶民が気軽に食べられるようになったのは大正に入ってからのことであるが、当初は豚肉をベースにした醤油味のスープで具材も豚肉とネギのみと、いわゆる日本内地の支那そばとあまり変わらないものであったようである。その後沖縄人の味覚に合わせた改良が重ねられた結果、スープは現在のような薄めの色となり、今日にまで繋がる三枚肉、沖縄かまぼこ、ねぎ、紅しょうがを具材とし、薬味としてコーレーグース(島唐辛子の泡盛漬け、島とうがらしとも呼ぶ)を用いるという沖縄そば独自のスタイルが形成されていった。支那そばと並んで「琉球そば」という呼称が用いられるようになったのもこの頃のことである。

こうした老舗の店も沖縄戦によってすべて破壊されたが、米軍占領下で小麦粉が豊富に出回るようになってからは次々と復活し、また戦争で夫を失った未亡人が新しい店を立ち上げるなどして、再び急速に普及していくこととなる。店の数が増えるにともなって、「すばやー」と呼ばれるそば屋各店はさまざまな具材や、鰹や昆布を用いた和風の出汁を使うなど競い合って工夫を凝らし、沖縄の県民食として発展していった。またその一方で、ガスの普及に伴って麺打ちに使われる木灰の供給が減少したこともあって、かんすいを使用した大量生産の麺が一般的となり現在に至っている。

日本本土のラーメン文化の影響を受けることのなかった沖縄では、復帰前の1970年頃にはすでに大衆食としての「すば」が定着し、上記の代表的なスタイルや、後に誕生する大ぶりのソーキを具にしたソーキそばは沖縄料理の定番となった。 こうして生まれた沖縄そばは、沖縄本島に定着する過程と同時、あるいは相前後しながら、宮古諸島や八重山諸島、その他の島々へも広がるに至っている。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』

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